新潟県新発田市の中心に、新発田城の跡が残っています。江戸時代、このあたりは新発田藩という大名の領地でした。城は藩の中心で、溝口家が12代にわたって城主を務めました。浮舟城やあやめ城といった別名も伝わります。
天守はなく、その役目を三階櫓という建物が担いました。櫓は見張りと物置を兼ねた城の建物です。新発田城の三階櫓には、全国でも例のない屋根が載っています。
開園は4月から11月まで。入園は無料で、JR新発田駅から歩いて20分ほどです。
丁字型の屋根に三匹の鯱
三階櫓の屋根は、丁字型に組まれています。その屋根に鯱が三匹。鯱は火よけを願って屋根に置く想像上の魚で、両端に一つずつ据えるのが通例です。三匹をあしらった櫓は全国でここだけ。天守のない城が、天守より珍しい櫓で知られています。
いま建っている三階櫓は、江戸時代のものではありません。2004年7月の復元です。本丸の辰巳櫓も同じ月に復元されました。
陸上自衛隊新発田駐屯地の敷地内に建っているため、三階櫓には近づけません。立ち入りの制限は三階櫓だけのもので、辰巳櫓は城址公園の中にあります。
溝口家が270年治めた城
1598年の正月、溝口秀勝が新発田に入りました。いまの新潟県にあたる越後へ、領地を移されてきた大名です。城づくりも同じ年に始まっています。秀勝自身は城の外に館を構え、そこに住みながら工事を進めました。
城が形になるまで、およそ50年かかりました。3代目の藩主、溝口宣直の代です。1646年までに、中心から外へ順に並ぶ本丸・二の丸・三の丸の主な櫓と門がそろいます。翌1647年に本丸辰巳櫓、1654年に本丸書院が完成しました。
1668年の大火で、鉄砲櫓と丑寅櫓を除く大半の建物が焼け落ちました。11年後の1679年、その焼け跡に天守代わりの三階櫓が建ちます。
溝口家は12代、およそ270年にわたって新発田を治めました。江戸時代の大名の多くは幕府の指示で領地を移されましたが、溝口家は一度も移らないまま明治維新を迎えます。
1871年、明治政府が藩を廃して県を置くと、城は役目を終えました。跡地には陸軍の部隊が入ります。1874年には、壊した城の建材を組み直して白壁兵舎が建ちました。フランス風の造りに日本の城の技法を重ねた木造2階建てで、床面積はおよそ1,600平方メートルありました。
戦後は1953年に保安隊の部隊が金沢から移り、1962年から陸上自衛隊第30普通科連隊が置かれています。城跡の一角は、いまも駐屯地として使われています。
江戸時代から残る門と櫓
城内には、江戸時代の建物が2棟残っています。表門と旧二の丸隅櫓です。どちらも江戸中期の建築で、1957年に国の重要文化財に指定されました。重要文化財とは、国が守るべきと定めた建物や美術品を指します。
表門の前には堀部安兵衛の銅像が立っています。新発田に生まれ、主君の仇を討った赤穂浪士四十七士の一人として知られる武士です。
城址公園には桜が360本植えられています。開園が4月からなので、春に訪ねれば櫓や門と一緒に花を見られます。
新発田城は、日本城郭協会が定めた日本100名城の31番にも入っています。
見学案内
住所は新潟県新発田市大手町6丁目。開園期間は4月から11月までで、時間は9時から17時までです。11月だけ16時30分に閉まります。
予約は不要で、入園が無料です。12月から3月は冬期閉鎖になり、この間は外観のみ見学できます。
駐車場は2か所ありどちらも無料。城址公園の駐車場に普通車10台と大型車5台、少し離れたアイネス新発田の駐車場に普通車100台ほど停められます。
JR羽越本線と白新線が乗り入れる新発田駅から、歩いて20分ほど。車なら日本海東北自動車道の聖籠新発田インターから15分です。
新発田駅から歩いて7分のところに、清水園と足軽長屋があります。清水園は国の名勝に選ばれた大名庭園で、隣の足軽長屋は身分の低い武士たちが暮らした住まいです。こちらも国の重要文化財。入園料は大人700円、小中学生300円で、城と合わせて歩いて回れる距離にあります。
『日本三國』で登場
『日本三國』は、文明の崩れた未来の日本を三つの国が争う漫画。
作中に登場する勢力の一つ「聖夷」が滞在している城は、新発田城がモデルとされ、新発田練兵城という名で描かれます。