
愛媛県
Ehime
Start here
愛媛県の概要
日本最古級の温泉、現存12天守の城、瀬戸内海を渡るサイクリングロード、海を見下ろす無人駅。愛媛県には、旅人の記憶に刻まれる風景が凝縮されています。
道後温泉本館
1894年に改築された本館は、国の重要文化財に指定されており、日本三古湯のひとつに数えられます。赤い欄干と白漆喰の壁が湯けむりに包まれる姿は、日本の温泉文化を象徴する光景。2024年に約5年半におよぶ保存修理工事を終え、全館での営業を再開しました。有馬温泉、白浜温泉と並ぶ長い歴史を持ち、夏目漱石の「坊っちゃん」にも描かれた温泉です。
松山城
標高132mの勝山に築かれた松山城は、加藤嘉明が1602年に着工した現存12天守のひとつです。ロープウェイかリフトで山頂へ向かうと、松山の町並みと瀬戸内海が眼下に広がります。江戸時代の建築技法が随所に残る天守は、400年以上の時を経てなお堂々とした佇まいを見せています。
しまなみ海道
今治市から広島県尾道市まで、瀬戸内海の島々を9つの橋でつなぐ全長約60kmの道路です。各橋に自転車歩行者道が併設されており、サイクリングの聖地として国内外から愛好者が訪れます。橋の上から見渡す瀬戸内海の青と、島々に息づく穏やかな暮らしの風景が、走る者の心に残ります。
下灘駅
JR予讃線の無人駅で、ホームの目の前に瀬戸内海が広がることから「海に一番近い駅」として知られています。線路と海のあいだに遮るものがなく、夕暮れどきには空と海がオレンジに染まる光景が広がります。ローカル線の静けさの中で味わう、ここだけの時間です。
行き先
愛媛県で訪れたい場所
愛媛県を代表するスポットと体験。
Zoom in
愛媛県のエリア
街・地区を探索
位置
愛媛県の場所
愛媛県は四国地方の北西部に位置し、瀬戸内海と宇和海に面しています。県庁所在地は松山市。面積は約5,676km²で、四国ではもっとも人口の多い県です。
北部は瀬戸内海式気候で穏やかな天候に恵まれ、南部は太平洋側の影響を受けて降水量が増える傾向があります。温暖な気候と日照時間の長さが農業を支え、2025年時点の人口は約126万人。
古くは伊予国と呼ばれた地で、日本最古級の温泉や城下町の文化が今も色濃く残っています。瀬戸内海の穏やかな海と、南に広がる山地が県の地形を特徴づけています。
地図を読み込み中...
Access
愛媛県へのアクセス
東京からは飛行機が便利です。羽田から松山空港まではANA・JALで約1時間20分、成田からはジェットスターで約1時間40分。松山空港から松山駅まではリムジンバスで約15分で到着します。
鉄道の場合は、東海道新幹線で岡山まで約3時間20分、そこから特急しおかぜに乗り換えて松山まで約2時間40分、合計で約6時間の道のりです。大阪からなら新幹線で岡山まで約50分、特急しおかぜで松山まで約2時間40分と、合計約3時間30分で到着します。
新宿からの夜行バスで約12時間という選択肢もあり、予算やスケジュールに合わせた移動方法を選べるでしょう。
県内の移動は伊予鉄道の路面電車が便利で、松山市内の主要な観光地をつないでいます。JR四国や路線バスも利用でき、郊外や離れた地域へも足を延ばせます。
地元自慢
特産品
温暖な気候と豊かな日照が、愛媛県の農業を支えています。柑橘類の栽培は県を代表する産業で、品目の豊富さと品質は全国でも突出した評価を受けてきました。太平洋に面した宇和海では養殖業も盛んで、高品質な水産物や海の宝飾品が生産されています。
伝統工芸も根づいた土地です。焼き物や織物が古くから受け継がれ、繊維産業では世界的に知られる製品も生まれています。農水産物と工芸品の両面で、全国の暮らしに届く品々を送り出してきた県といえるでしょう。
食べ物
工芸品・その他
Through the ages
愛媛県の歴史
古くは伊予国と呼ばれ、律令制のもとで成立した地域です。道後温泉の歴史はとりわけ古く、日本書紀や万葉集にもその名が記されています。596年には聖徳太子がこの地を訪れ、湯の素晴らしさを讃える碑を建てたとされており、1,400年以上にわたって人々を癒してきた温泉です。
1600年の関ヶ原の戦いで東軍に属した加藤嘉明が伊予松山20万石を拝領し、1602年に松山城の築城を始めました。1620年に城が完成した後、1635年に久松松平家の松平定行が15万石で入封。以後、幕末まで約230年間にわたり松平家がこの地を治めます。伊予八藩と呼ばれる複数の藩が県域に存在し、宇和島藩では仙台伊達家ゆかりの伊達秀宗が独自の文化を築きました。
1871年の廃藩置県で伊予八藩はそれぞれ県となり、1873年に愛媛県として統合されました。県名は古事記に登場する「愛比売命」に由来しています。1895年、夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任し、その体験をもとにした小説「坊っちゃん」は松山の名を全国に広めました。同じ松山出身の正岡子規は近代俳句の祖とされ、この地が育んだ文学の厚みを今に伝えています。