
栃木県
Tochigi
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栃木県の概要
世界遺産の社寺群がそびえる日光、四季の表情が鮮やかな奥日光の湖と滝、そして地下に広がる幻想的な採掘場跡。栃木県は東京から日帰りでも訪れやすい距離にありながら、自然と歴史の奥行きに何度でも驚かされる場所です。関東平野の北端に位置し、山岳地帯から平野部まで変化に富んだ地形が、多彩な見どころを生み出しています。
日光の社寺

Toshogu / Photo AC
1999年にユネスコ世界遺産に登録された日光の社寺は、東照宮・二荒山神社・輪王寺の二社一寺で構成されています。なかでも東照宮は、徳川家康を祀る霊廟として1617年に創建され、三代将軍家光の時代に現在の豪華絢爛な姿へと大改修されました。境内には国宝8棟、重要文化財34棟が立ち並び、建物の表面を埋め尽くす彫刻の総数は5,000を超えるとも。眠り猫や三猿といった彫刻群は、一つひとつに教訓や物語が込められており、細部を見て回るだけで数時間は過ぎてしまうでしょう。

Yomei-mon / Photo AC
陽明門は508体もの彫刻で飾られ、その精緻さに見とれて日が暮れることから日暮の門とも呼ばれてきました。2017年に約40年ぶりの大修復を終え、創建当時の極彩色が鮮やかによみがえっています。杉の巨木が整然と並ぶ参道も見どころのひとつで、日光杉並木街道は全長約35.41キロメートル、約1万2,000本の杉が連なるギネス認定の世界最長の並木道です。
奥日光の自然

Lake Chuzenji / Photo AC
東照宮から西へいろは坂を上ると、標高約1,269メートルに位置する中禅寺湖に出ます。周囲約25キロメートルのこの湖は、約2万年前に男体山の噴火による溶岩流が川をせき止めて生まれた堰止湖。明治から昭和初期にかけては各国の大使館が別荘を構える国際的な避暑地でもありました。湖畔に残るイタリア大使館別荘記念公園では、当時の優雅な建築を間近に見ることができます。

Kegon Falls / Photo AC
中禅寺湖の東端から落差97メートルを一気に流れ落ちるのが華厳の滝。日本三名瀑のひとつに数えられ、エレベーターで降りた観瀑台から見上げる水柱の迫力は圧倒的です。秋にはいろは坂の48のカーブを彩る紅葉が見事で、第二いろは坂の明智平展望台からは中禅寺湖と華厳の滝を同時に望める絶景が待っています。冬には滝の一部が凍結し、十二滝と呼ばれる細い流れが氷のオブジェに変わる光景も。季節によってまったく違う表情を見せるのが、奥日光の醍醐味といえるかもしれません。
大谷資料館

Photo AC
宇都宮市の北西部にある大谷資料館は、大谷石の地下採掘場跡を公開した施設です。大谷石は軽くて加工しやすい凝灰岩として古くから建材に使われ、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテルにも採用されたことで知られています。
地下約30メートル、広さ約2万平方メートルにおよぶ採掘場跡は、まるで地下神殿のような空間。手掘りの時代から機械掘りへと移行した歴史が壁面の掘削痕にそのまま刻まれており、石切り職人たちの仕事の軌跡をたどることができます。年間を通じて気温が約8度に保たれる坑内は、夏でもひんやりとした空気に包まれるため、羽織るものを一枚持っていくのがおすすめです。
近年はその幻想的な雰囲気を活かして、コンサートや映画のロケ地、結婚式会場としても利用されるなど、単なる史跡を超えた文化的な場へと発展しています。大谷エリア一帯では岩壁に彫られた高さ約27メートルの大谷観音や、自然が生み出した奇岩群の御止山も見どころ。石の町としての歴史と現在が交差する、栃木ならではのスポットです。
あしかがフラワーパーク

足利市にあるあしかがフラワーパークは、大藤棚で世界的に名を知られる花のテーマパーク。2014年にCNNが選ぶ世界の夢の旅行先10選に日本で唯一選出されたことで、海外からの来園者も急増しました。
園内のシンボルである樹齢160年を超える大藤は、棚の面積が約1,000平方メートルにもなり、4月下旬から5月にかけて薄紫の花房が幾重にも垂れ下がります。大藤のほかにも白藤のトンネルや黄花藤など、品種ごとに見頃が少しずつずれるため、4月中旬から5月中旬まで約1か月間にわたって藤の花を楽しめるのが特徴です。

冬にはイルミネーションイベント「光の花の庭」が開催され、こちらも全国屈指の規模を誇ります。500万球を超えるLEDが園内を彩り、藤棚が光の花に生まれ変わる演出は春とはまた違った幻想的な世界。花の季節と光の季節、年に二度の見頃を持つ稀有な庭園といえるでしょう。
行き先
栃木県で訪れたい場所
栃木県を代表するスポットと体験。
位置
栃木県の場所
栃木県は関東地方の北部に位置し、県庁所在地は宇都宮市です。2024年10月時点で約190万人の人口を擁し、関東地方では最も北に広がる内陸県として知られています。
県の北西部には日光連山や那須連山が連なり、標高2,578メートルの日光白根山は関東地方の最高峰にあたります。山地から流れ出る鬼怒川や那珂川は県内を南へ貫き、南部には関東平野の北端にあたる広大な平地が広がっています。面積は約6,408平方キロメートルで、関東地方では群馬県に次ぐ広さ。海に面しておらず、海なし県のひとつです。
気候は内陸性の特徴が顕著で、夏は日中の気温が35度を超える日も珍しくありません。一方で朝晩は比較的涼しくなるため、寒暖差が大きいのが特徴です。冬は北西からの乾いた季節風が吹き、平野部は晴天が続く一方で空気が非常に乾燥します。北部の山間部では積雪が多く、日光や那須高原はスキーリゾートとしても利用されています。雷が多い土地としても有名で、夏の午後には激しい雷雨に見舞われることから、宇都宮は「雷都」の異名を持つほどです。
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Access
栃木県へのアクセス
栃木県には空港がないため、飛行機を利用する場合は成田空港または羽田空港が最寄りとなります。成田空港からは直通バスで宇都宮まで約2時間30分、羽田空港からは東京駅を経由して新幹線を乗り継ぐルートが一般的です。
鉄道での移動が最も便利でしょう。東京駅から宇都宮駅までは東北新幹線で約50分、那須塩原駅までは約70分で到着します。大阪方面からは東海道新幹線で東京駅へ出て、東北新幹線に乗り換えるルートとなり、合計で約3時間30分ほど。在来線のJR宇都宮線を使えば、東京の上野駅や大宮駅から宇都宮まで約1時間40分〜2時間で、新幹線より時間はかかるものの運賃を押さえられます。
宇都宮駅は県内交通の拠点として機能しており、市内の移動には2023年に開業した次世代型路面電車LRT、通称ライトラインが東部エリアへの足として活躍しています。日光や鬼怒川温泉へは東武鉄道が便利で、東武日光線の特急を使えば東京の浅草駅や新宿駅から乗り換えなしで約2時間。JR日光線も宇都宮駅から日光駅まで約40分で結んでいます。
ただし、那須高原や益子、茂木といった観光地では公共交通機関の本数が限られるため、タクシーの利用が現実的です。冬季は北部の山間部を中心に積雪や路面凍結が発生するので、スタッドレスタイヤやチェーンの準備は欠かせません。日光いろは坂のような山道は冬の運転に注意が必要ですが、主要な幹線道路は除雪が比較的行き届いています。
地元自慢
特産品
栃木県は関東平野の北部に位置し、肥沃な土壌と豊富な水源に恵まれた農業県です。特に果実栽培が盛んで、いちごの生産量は半世紀以上にわたって日本一を維持しています。平野部では稲作や麦類の二毛作が広く行われ、畑作地帯ではかんぴょうの原料となる夕顔が全国生産のほぼすべてを占めるなど、独自の農産物も少なくありません。那須や日光の高原地帯では酪農や肉用牛の飼育が盛んで、冷涼な気候を活かした畜産業が根付いています。県南部を中心に古くから窯業や織物の伝統があり、日用品から芸術作品まで幅広い工芸文化が受け継がれてきました。清流と良質な米を背景に、酒造りの歴史も長く続いています。
食べ物
工芸品・その他
Through the ages
栃木県の歴史
栃木県一帯はかつて下野国と呼ばれていました。4世紀から5世紀にかけて、この地域には大規模な古墳が数多く築かれ、下毛野氏をはじめとする有力豪族が勢力を誇っていたことがうかがえます。奈良時代には国府が現在の栃木市付近に置かれ、下野薬師寺が戒壇院として東国の仏教拠点となりました。僧侶が正式に受戒できる場は当時の日本に3箇所しかなく、そのうちの一つがこの下野薬師寺だったのです。
平安時代に入ると、藤原秀郷が平将門の乱を鎮圧し、東国武士の存在感を朝廷に知らしめました。秀郷はその功績により下野国の押領使に任ぜられ、子孫は小山氏や結城氏など関東の名族として広がっていきます。鎌倉時代には宇都宮氏が守護を務め、歌人としても名を馳せた宇都宮頼綱が百人一首の成立に影響を与えたとされるなど、武だけでなく文の面でも足跡を残しました。
戦国から江戸時代
戦国時代、下野国は北の那須氏、中央の宇都宮氏、南の小山氏といった諸勢力がひしめく激戦地でした。北関東の要衝として上杉・北条・武田の大勢力に翻弄されながらも、宇都宮氏は粘り強く領地を守り抜きます。しかし豊臣秀吉の時代に改易され、長く続いた宇都宮氏の支配は幕を閉じることに。
江戸時代、栃木の歴史を決定的に変えたのが日光東照宮の造営です。1617年、徳川家康の遺骸が久能山から日光に改葬され、3代将軍家光の時代に豪華絢爛な社殿が完成しました。陽明門に施された500以上の彫刻、眠り猫や三猿といった名作が今も残ります。日光は将軍が参拝する聖地となり、江戸から日光を結ぶ日光街道や例幣使街道の整備が進みました。宿場町として栄えた今市や鹿沼には、当時の面影が今も残っています。
近代の栃木県
1871年の廃藩置県では、当初は宇都宮県と栃木県の2県に分かれていました。1873年に統合され、県庁は一時期栃木町に置かれましたが、1884年に宇都宮へ移転。県名の由来については諸説あり、栃木町の地名が栃の木の群生に由来するという説や、神明宮の千木が10本あったことから十千木が転じたという説が伝わっています。
近代産業の面では、足尾銅山が大きな存在でした。江戸時代から採掘が続き、明治期には日本最大の銅山として国の近代化を支えます。一方で鉱毒が渡良瀬川流域に深刻な被害をもたらし、田中正造が明治天皇に直訴するという前代未聞の行動に出たことは、日本の公害問題の原点として記憶されるところです。