富岡八幡宮
Tomioka Hachimangu
富岡八幡宮について
江戸の下町、深川。この地を歩けば、いまも朱色の鳥居が目に飛び込んできます。富岡八幡宮は1627年の創建以来、地元の人々に「深川のお八幡様」と呼ばれ親しまれてきた神社です。江戸時代には祭りや相撲の舞台となり、日本初の実測地図をつくった測量家がここから旅に出発するなど、信仰を超えた物語がいくつも重なっています。
徳川幕府の保護を受けて江戸最大の八幡宮へと成長し、門前仲町の商いと文化の中心であり続けた富岡八幡宮。その歩みをたどると、江戸という時代が何を大切にしていたかが見えてきます。
江戸の庶民が育てた神社
寛永4年(1627年)、長盛法印という僧が神託を受けて、永代島に応神天皇を祀る社を建てたことが始まり。やがて幕府の手厚い保護を得て、江戸最大の八幡宮へと成長していきます。

Fukagawa Meshi (clams on rice) / Photo AC
この神社は江戸の庶民とともに栄えていきました。参拝者が増え、門前町が発展し、やがて門前仲町は老舗の飲食店や和菓子屋、佃煮屋が立ち並ぶ商業地へと姿を変えます。深川めしもこの地が発祥。神社と町が一体となって、地域の文化圏を形作っていったのです。
深川八幡祭りが映す江戸の熱気

富岡八幡宮の例大祭、通称「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭と並び称される祭礼で、8月中旬に行われます。
最大の見どころは水かけ祭り。神輿の担ぎ手たちが町を練り歩く際、沿道から次々と水が浴びせられます。清めの意味を込めた風習ですが、見物客も夢中になって水をかけ、祭りの主人公になる瞬間。約50基の神輿が勢ぞろいする本祭りの光景は圧巻でしょう。

祭りは3年周期で本祭り、御本社祭、陰祭を繰り返し、神輿が大規模にそろうのは本祭りの年だけです。次回の本祭りは2026年の予定。約400年続く祭礼のリズムが、いまも途切れることなく刻まれています。
大相撲の聖地

富岡八幡宮にはもう一つの顔があります。大相撲との深い結びつきです。貞享元年(1684年)、幕府から勧進相撲の許可が下りると、約100年にわたりこの境内で本場所が開催されました。勧進相撲とは、寺社が資金を集めるために催す相撲興行のこと。まだ相撲の形式が定まっていなかった時代に、定期興行や番付といった現在の大相撲の仕組みがここで生まれていきます。
その歴史を象徴するのが横綱力士碑です。明治33年(1900年)、12代横綱陣幕久五郎の発起で建立された白御影石の碑で、高さ3.5メートル、重さ約20トン。初代横綱から歴代横綱の名が刻まれており、新横綱が誕生するたびに刻名式が行われています。
伊能忠敬の出発点

境内にはもう一つ、見逃せない銅像があります。江戸時代に日本全国を歩いて実測地図を完成させた伊能忠敬の像です。
深川黒江町(現在の門前仲町付近)に暮らしていた伊能忠敬は、測量の旅に出るたびにこの神社を訪れ、安全を祈願していました。1800年、蝦夷地(現在の北海道)へ向かう最初の測量の旅もここから始まっています。2001年に測量開始200年を記念して建てられたこの像は、挑戦を支えてきた神社の姿をいまに伝えるものです。
〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20−3
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