
宮城県
Miyagi
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宮城県の概要
宮城は、自然も歴史も町歩きも、一日のうちに巡れる県です。日本三景に数えられる松島の海、伊達政宗が築いた青葉城からの眺め、夏の夜を埋め尽くす七夕の吹き流し、火口湖と樹氷で表情を変える蔵王。仙台から少し足を延ばすだけで、風景も時間の流れもがらりと変わります。
松島
松島湾には大小260あまりの島々が浮かんでいます。長い年月のあいだに波や風で削られた松と岩肌の影が、海面に重なる景色です。湾を見下ろす高台には、壮観、麗観、幽観、偉観と名づけられた四大観の展望地があり、それぞれ違う角度から島の重なりが楽しめます。海から見上げる景色はまた別物。遊覧船で島々の間を縫うコースに乗れば、断崖や小舟しか通れない穴の通路にまで近づけます。
湾を見守るように建つのが瑞巌寺です。伊達政宗が1604年から5年がかりで1609年に建て直した臨済宗のお寺で、本堂と庫裡が国宝に指定されています。すぐ隣の五大堂の歴史も古く、伝承によれば807年に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建てたのが、五大堂の始まりです。今の建物は1604年に政宗が建てたもので、東北に残る桃山建築のなかで最も古い建物のひとつ。屋根の軒下には十二支が透かし彫りされていて、海に突き出た小さなお堂を一周しながら自分の干支を探すのも、訪れた人の楽しみです。
仙台城跡
仙台城跡は、青葉山の標高約130メートルに築かれた山城の跡です。本丸跡に立つと、仙台市街と太平洋までを一望できます。天守は最初から作られず、ふだんの御殿と石垣が中心のつくりだったため、今訪れると、残された高い石垣と広い本丸跡が当時の大きさを伝えてくれます。本丸のへりには、馬上の伊達政宗をかたどった騎馬像。片目を細めて街を見下ろす姿が、仙台のシンボルとして親しまれています。
仙台七夕まつり
仙台七夕まつりは、毎年8月6日から8日にかけて開かれる夏の祭りです。青森ねぶた、秋田竿燈と並ぶ東北三大祭のひとつ。江戸時代に伊達政宗が、女の子たちの裁縫や習字の上達を願って奨励したと伝わる行事が下地になっています。今では、仙台駅前から続くアーケード街を大きな笹飾りが埋め尽くす、夏の風景に育ちました。色とりどりの吹き流しが頭上を覆い、アーケードが紙のトンネルに変わる時間は、歩くだけで祭りの中に入り込んだような気分になります。
蔵王の御釜と樹氷
宮城と山形の県境にそびえる蔵王連峰は、火山と冬山の二つの顔を持つ山々です。刈田岳と熊野岳のあいだにあるのが、御釜と呼ばれる火口湖。直径およそ325メートル、周囲約1キロ、最も深いところで27.6メートルあります。湖面の色は日や季節によって青、緑、エメラルドへと変わり、五色沼という別名でも親しまれてきました。蔵王エコーラインから車を降りて短い坂を上がると、すぐに淡い緑色の水面が眼下に広がります。見られるのは雪解け前後の4月下旬から11月初旬まで、限られた季節だけの風景です。
冬の蔵王は、樹氷の山へと姿を変えます。標高1,300〜1,700メートルあたりに広がるアオモリトドマツに、強風で運ばれてきた水滴と雪が凍りつき、人型の白い塊が斜面を埋めていきます。同じ蔵王でも、宮城側と山形側で樹氷の姿は違ってきます。宮城側は雪と氷の塊が前のめりに連なる、荒々しい姿。見頃は1月から2月で、夜にはライトアップも行われ、青白い光に浮かぶ樹氷たちが斜面に並びます。
田代島
石巻市の沖に浮かぶ田代島は、面積2.92平方キロ、周囲11.5キロほどの小さな島。人より猫の数のほうが多いことで知られる、いわゆる「猫の島」です。集落は北の大泊と南の仁斗田の二つだけで、島の真ん中には、漁師たちが大漁を願ってまつった猫神社がひっそりと建っています。坂道を歩いていると、軒先や港のへりから猫がのっそり現れて、こちらの足元を当然のように横切っていきます。
行き方は、石巻港からのフェリーで大泊まで約40分、仁斗田まで約50分。日帰りでも気軽に渡れる近さです。石巻市は漫画家・石ノ森章太郎ゆかりの土地で、漫画を活かしたまちづくりを進めてきました。その流れで、2000年4月には島内に「田代島マンガアイランド」がつくられます。ロッジのデザインは、里中満智子さんとちばてつやさんがそれぞれ手がけました。猫と漁港、漫画家がデザインした小屋がいっしょに並ぶ風景は、宮城のなかでも一風変わった旅先として記憶に残ります。
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位置
宮城県の場所
宮城県は東北地方の太平洋側にある、東北でもっとも人口が多い県です。県庁所在地の仙台市は東北で唯一の政令指定都市で、青葉、宮城野、若林、太白、泉の五区に分かれます。市の人口は2026年1月時点で約109万人、県全体では2026年4月時点で約221万人。面積は約7,282平方キロメートルで、広さは全国16位です。
仙台には「杜の都」という呼び名があります。江戸の初め頃、初代藩主の伊達政宗が家臣たちに「屋敷に実のなる木や竹、杉を植えなさい」と勧めたのが始まり。城下町の緑が街を包む風景は、ここから生まれました。明治の頃には「森の都」と書かれることもあったそうです。戦災で街路樹の多くが焼けたあとに植え直されたのが、1958年の定禅寺通のケヤキ並木。今もこの通りを歩くと、そのとき植えられた木々の下を通ることになります。
地形は変化に富みます。西側には奥羽山脈が走り、蔵王連峰、船形山、栗駒山が県境に連なります。中央には仙台平野が広がり、阿武隈川や北上川が流れる、東北でも屈指の稲作地帯です。北部の三陸海岸南端は入り組んだリアス海岸。気仙沼湾、女川湾、松島湾が陸に深く切り込み、湾の奥まで入る地形のおかげで漁業や養殖が盛んです。北は岩手、西は山形、南は福島と隣り合っています。
気候は太平洋側らしく、夏は内陸ほどには暑くなりません。平野部の冬も、雪はそれほど積もらないほうです。一方で、西の山間部は雪が深く、蔵王の樹氷は冬の名物として知られます。初夏から夏にかけては、オホーツク海から「やませ」と呼ばれる冷たい北東風が県東部に届くことがあります。これが長く続くと気温が上がりにくくなり、稲の育ち具合を左右する風として昔から知られてきました。
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Access
宮城県へのアクセス
海外から宮城へ向かう場合、最初に降り立つのが名取市と岩沼市にまたがる仙台空港です。韓国や台湾を中心としたアジアの路線が乗り入れていて、東京を経由せずに直接たどり着けます。空港から市の中心部までは仙台空港アクセス線が走り、JR仙台駅まで快速で17分、各駅停車で25分ほどです。
国内移動では、東北新幹線の「はやぶさ」が東京〜仙台を最速約1時間32分で結びます。大阪方面からは、東海道新幹線と東北新幹線を東京駅で乗り継いで、合計4時間30分から5時間ほど。仙台駅は新幹線、在来線、地下鉄、バス乗り場が同じ駅にまとまっていて、初めて訪れる人でも乗り換えに迷いにくい駅です。
市内の移動には、鉄道とバスがどちらもそろっています。地下鉄南北線と東西線が街なかを縦横に走り、JR仙石線や仙山線、東北本線で郊外へも出かけられます。観光ならレトロ調の循環バス「るーぷる仙台」が手軽。仙台城跡、大崎八幡宮、瑞鳳殿などの主な観光地を一周してくれます。日本三景の松島へは、JR仙石線で松島海岸駅まで約40分の小旅行です。
蔵王の山あいは、訪れる季節を選ぶ場所です。御釜という火口湖へ続く蔵王エコーラインは、例年11月の初め頃から4月の下旬まで冬の閉鎖期間に入ります。御釜が見られるのも、4月の下旬から11月の初め頃まで。冬は樹氷が見頃で、白石蔵王駅から路線バスや、季節運行のシャトル便が走ります。行きたい時期に合わせて移動手段を選ぶと安心です。
地元自慢
特産品
宮城は米どころと海の幸が同居する県です。仙台平野や奥羽山脈の麓に広がる大崎耕土は、長く受け継がれてきた水の管理と巧みな土地利用で知られます。2017年には、国連食糧農業機関(FAO)から東北で初めて世界農業遺産に認められました。
沖合の三陸海域は親潮と黒潮が出会う世界有数の好漁場で、気仙沼、石巻、塩釜という大きな漁港が並びます。内陸では黒毛和牛の肥育や酪農が盛んで、海では牡蠣や鮪、鰹、鮫がとれます。仙台の城下町で根づいた味噌や麹も、宮城の食卓を支える大事な柱です。
食べ物
工芸品・その他
Through the ages
宮城県の歴史
古代から中世
宮城の歴史は、古代の律令国家にとっての最前線として始まります。724年に大野東人が築いた多賀城は、陸奥国府と鎮守府を兼ねた東北のかなめ。土塁や政庁の跡は、今も地表に残っています。平安の終わり頃になると、平泉(現在の岩手県)を本拠にした奥州藤原氏が東北一帯に力を伸ばしました。しかし1189年の奥州合戦で源頼朝に攻め滅ぼされ、東北は鎌倉幕府が治める土地になっていきます。
戦国から江戸時代
宮城の名が全国に知られるようになったのは、戦国の終わり頃に登場した伊達政宗(1567〜1636)からです。幼い頃の病気で右目を失って「独眼竜」と呼ばれた政宗は、関ヶ原の戦いのあと、仙台60万石、のちに62万石を与えられました。1600年12月にはもとの地名「千代」を「仙臺」に改めます。翌1601年から青葉山に城を建て始め、仙台城(青葉城)は1603年に主要な部分が完成。廃藩置県までおよそ270年、伊達家がそのまま住み続けました。
政宗のおこなった仕事のなかで、特に変わっているのが1613年の慶長遣欧使節です。仙台藩でつくった洋式帆船サン・ファン・バウティスタ号に家臣たちを乗せ、太平洋を渡らせます。船はメキシコとスペインを経由してローマへ向かいました。正使はフランシスコ会の宣教師ルイス・ソテロ、副使は家臣の支倉常長。スペイン国王フェリペ3世とローマ教皇パウロ5世にも会い、常長は7年がかりで1620年に帰国します。関連資料は2013年、ユネスコの「世界の記憶」に登録されました。
近代以降
1871年の廃藩置県のあと、翌1872年に仙台県は郡の名にちなんで宮城県と改められました。明治の時代には東北本線が開通し、仙台港の整備も進みます。東北大学や旧制第二高等学校が置かれて、仙台は「学都」と呼ばれる教育と研究の街として育っていきました。2011年の東日本大震災では沿岸部が大きな被害を受けましたが、漁港の立て直しや観光の歩みは今も続いています。