
山口県
Yamaguchi
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山口県の概要
本州の西の端に広がる山口県は、地下に眠る壮大な鐘乳洞から、幕末の志士たちが駆け抜けた城下町、海の上を走るような橋まで、見どころの振り幅が大きい県です。瀬戸内海と日本海という二つの海に挟まれた地形が、自然の景観にも歴史の展開にも独自の彩りを与えています。
秋吉台と秋芳洞

山口県のほぼ中央に広がる秋吉台は、面積約130平方キロメートルにおよぶ日本最大のカルスト台地です。石灰岩が雨に削られてできた無数の白い岩が草原の中に並ぶ風景は、日本の他の場所ではなかなか見られません。春から夏にかけて緑に覆われた台地を歩く展望コースは開放感にあふれ、秋にはススキが一面を銀色に染めます。
この台地の地下に広がるのが秋芳洞で、総延長は10kmを超える国内屈指の鐘乳洞。観光コースとして公開されている約1kmの区間だけでも、数十万年かけて石灰水が形づくった鐘乳石や石筍の造形に圧倒されます。洞内の気温は年間を通じて約17度で、夏は涼しく冬はほんのり暖かいのも特徴です。
萩の城下町と世界遺産
日本海に面した萩市には、江戸時代の武家屋敷や町家の面影が残る城下町が広がっています。白壁となまこ壁が続く通りを歩くと、約260年間この地を治めた毛利氏の時代にさかのぼるような感覚を味わえるでしょう。
2015年には「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、萩の城下町や松下村塾がユネスコ世界遺産に登録されました。松下村塾は松陰神社の境内に残る小さな木造の建物で、吉田松陰がここで教えたのはわずか1年余り。それでも伊藤博文や高杉晋作など、近代日本を形づくった人物たちがこの部屋から巣立ったという事実が、この場所に特別な重みを与えています。
錦帯橋

岩国市の錦川にかかる錦帯橋は、1673年に建設された木造の五連アーチ橋です。釘を使わず木材を組み上げる精巧な技術でつくられており、日本三名橋のひとつに数えられてきました。全長約193メートルのアーチが川面に映る姿は、季節を問わず見応えがあります。
春には橋のたもとで約3,000本の桜が咲き、花見の名所としてもにぎわいます。橋を渡った先には岩国城へのロープウェイがあり、山の上から錦帯橋と城下の町並みを一望できるのもこの場所の魅力です。
角島大橋と絶景の海岸線

山口県の日本海側には、近年注目を集める絶景スポットが並んでいます。なかでも下関市の角島大橋は全長1,780メートル、コバルトブルーの海の上をまっすぐに伸びる姿が印象的で、映画やCMのロケ地としてもたびたび使われてきました。晴れた日の眺めは、日本海のイメージを覆すような南国的な透明感。
同じく日本海沿いの長門市には元乃隅神社があり、海に向かって並ぶ123基の赤い鳥居が崖の斜面を埋め尽くす光景はほかに類を見ません。アメリカのCNNが選んだ「日本の最も美しい場所31選」にも取り上げられ、海外からの訪問者も増えています。
位置
山口県の場所
山口県は中国地方に属し、本州の最西端に位置する県で、県庁所在地は山口市です。2025年4月時点の人口は約128万人とされています。北と西は日本海、南は瀬戸内海に面し、関門海峡を挟んで九州と近接しており、三方を海に囲まれた地形が大きな特徴です。
内陸部には中国山地の支脈が走るものの、全体としてはなだらかな地形で、最高峰の寂地山でも標高は1,337mにとどまります。気候は南北で性格が異なり、瀬戸内海に面した南部は降水量が少なく温暖で、年平均気温はおよそ15度です。一方、日本海側の北部や内陸部では冬に曇天の日が多く、積雪が見られる地域もあり、年平均気温は約13度とやや低めになっています。
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Access
山口県へのアクセス
山口県には二つの空港があります。山口宇部空港は羽田空港から約1時間30分で、空港から新山口駅へはバスでおよそ45分。岩国錦帯橋空港は羽田から約1時間20分と少し近く、空港から岩国駅へのバスは約10分で到着します。
新幹線を利用する場合、東京から新山口駅まではのぞみで約4時間30分、新大阪からは約2時間です。新山口駅は県内各方面への乗り換えの起点になります。
県内の移動にはJR山陽本線、山口線、山陰本線などの鉄道と、防長交通やサンデン交通の路線バスが利用できます。主要な観光地へは路線バスやタクシーで移動でき、出発前に時刻表を調べておくと安心です。萩や下関など都市間の移動にはJRの特急や快速を活用するのが便利でしょう。
地元自慢
特産品
日本海と瀬戸内海という性質の異なる二つの海に面しているため、山口県には多彩な海産物が集まります。とりわけ下関市はふぐの取扱量で全国トップクラスの街として知られ、冬の味覚の代名詞ともなっています。内陸部では原木しいたけの生産が盛んで、山の恵みも豊か。良質な米と水に恵まれた土地柄から、古くより日本酒づくりも根づいてきました。工芸の分野では、室町時代に大陸との交易で栄えた歴史が、伝統的な漆器や焼き物、硯といった工芸品を育む土壌をつくりました。
食べ物
工芸品・その他
Through the ages
山口県の歴史
古代の山口県は周防国と長門国という二つの国に分かれていました。中世になると大内氏が台頭し、大陸との貿易で莫大な富を得て山口の地に京都を模した街をつくり上げます。「西の京」と呼ばれたこの時代、画聖・雪舟も大内氏のもとで活動しました。しかし1551年、家臣の陶晴賢がクーデターを起こし大内氏の当主を自害に追い込み、1557年には中国地方の雄・毛利元就が大内氏を滅ぼして、この地の支配者は交代します。
関ヶ原の戦いで西軍についた毛利氏は、所領を大幅に削られ周防・長門の二国のみとなりました。1604年に萩城を築いて藩庁を置き、以後約260年にわたって萩藩(長州藩)を治めます。幕末になると萩の松下村塾から高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など明治維新を動かす人材が続々と輩出されました。1857年に吉田松陰が開いたこの小さな私塾は、わずか1年ほどの期間ながら近代日本の方向を変える震源地となります。
長州藩は1863年に外国船を砲撃して下関戦争を招き、敗北を機に開国・近代化へと舵を切りました。薩長同盟を経て明治維新を主導し、初代内閣総理大臣の伊藤博文をはじめ多くの政治家を送り出します。1871年の廃藩置県で山口県が成立。県名は県庁所在地の山口市に由来しています。1895年には下関で日清戦争の講和条約(下関条約)が結ばれ、近代日本の外交史にもその名を刻みました。