神田明神
神社

神田明神

都道府県東京都
地域

Address

101-0021

東京都千代田区外神田2丁目16−2

神田明神について

神田・秋葉原エリアにある神社で、付近はもちろん日本橋、大手町、豊洲魚市場をはじめとする108町会の氏神様です。「明神さま」として親しまれ、信仰を集めてきました。

歴史

天平2年(730年)、出雲氏族の真神田臣によって創建されたのが始まりとされています。
時を経て、平安時代の武将・平将門が朝廷に反旗を翻して攻め入り、討ち取られました。その首は京都の河原で晒されましたが、怨念によって夜な夜な異変を起こしたと言われています。将門はついに怨霊と化し、晒されていた首は胴体を求めて故郷・関東へ飛び去りました。その首が力尽きて墜落したのが現在の東京・大手町付近。神田明神で手厚く祭り、御祭神の一柱としました。

慶長5年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康が神田明神で御祈祷ののち合戦に参加し、神田祭の日に勝利。見事天下統一を果たしました。
その後も、江戸時代は「江戸総鎮守」として信仰を集めたり、明治時代には明治天皇の御参拝があったりと、地域とともに歩んできた神社です。

御祭神

縁結びの神様である大己貴命(おおなむちのみこと)、商売繁盛の神様である少彦名命(すくなひこなのみこと)、除災厄除の神様である平将門命(たいらのまさかどのみこと)を祀っています。御利益としては縁結びや商売繁盛、学業成就や厄除けがあります。
大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)、大黒様とも呼ばれ、日本国を創った神といわれています。

平将門伝説

関東の武将だった平将門は、「新皇」と名乗って東国の支配を目指しました。朝廷は征伐を決め、絶命した将門を晒し首にします。しかし、首だけになっても笑い声や恨み言を発し、3ヶ月経っても腐ることがなかったといいます。怨念の強さによって将門公が蘇るのではないかという声もあり、徐々に祟り神や妖怪のような扱いになりました。
一方で、仁義に厚い人物だったともいわれており、特に東国では英雄として信仰されてもきました。朝廷があった京都から離れた地方の民衆や武士たちにとっては、中央政権に対して真正面から物申した将門はヒーロー的存在だったのでしょう。

神田明神からは少し離れていますが、東京・大手町に平将門の首を供養したと言われる「将門塚」があります。オフィスビルが立ち並ぶ中に塚がぽつんと存在する理由は、塚を取り残そうとしたところ、工事に関わった大臣や技師が次々に急死し、工事計画が中止になったため。結果として”禁忌の地”という噂が立ち、現在でも毎年慰霊祭が行われています。

見どころ

社殿は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失しましたが、昭和9年に鉄筋コンクリートと総朱漆塗の社殿が再建されました。その後も再建が進み、昭和51年、檜木造りの随神門が再建されたことで江戸時代に負けない姿を取り戻しています。

社務所では縁結びや商売繁盛、厄除け、家庭円満など、様々な御祈祷を受けることができます。名刺入れ付きの「仕事守」、「IT情報安全守護」といった変わり種やペットのお守り、レースや小判のお守りなど、様々なデザインから好みのものを選べますよ。

漫画・アニメとのコラボも多数

秋葉原エリアと近く、『ラブライブ!』シリーズ、『シュタインズ・ゲート』などのアニメ、ライトノベル作品の舞台となったことから、アニメや漫画、小説ファンも多く参拝する神社となっています。

現在も定期的に漫画やアニメとのコラボをしています。2025年11月7日からは、神田明神内の「EDOCCO SHOP IKIIKI」にて『薬屋のひとりごと』コラボ御朱印の頒布が始まりました。

「神田明神資料館」では様々な展示が行われており、2025年11月24日までは『頭文字D』と『MF ゴースト』の特別展に合わせたグッズ販売がされていました。アクリルスタンドなどに加えて、御朱印帳や願掛け持ち塩など、神社らしいアイテムが並ぶのが特色です。

また、大規模イベントにも対応できる「神田明神ホール」ではアイドルのライブも開催。夏に行われる「神田明神 アイドル納涼祭り」をはじめ、地下アイドルたちによるフェスや対バンの聖地にもなっています。

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